2019年 本学では、東京オペラシティビル地権者の一人である故・寺田小太郎氏(1927-2018)から、59 点の作品を受贈いたしました。これを記念し展覧会を開催いたします。
総数 4,500 点に上る「寺田コレクション」は、難波田龍起・史男親子の国内屈指となる作品群のほか、戦後日本美術から現代アートに至るまで幅広い年代・ジャンルにわたります。
本展では前編・後編を通じ、当館収蔵品を含む約 190 点の作品と資料から、寺田の想いに寄り添いその人物像を浮かび上がらせると共に、コレクションに込められたメッセージを紐解きます。また寺田が長年携わった「造園」の仕事にも光を当て、そこで育まれた師への思慕・自然観・美的感性と美術コレクションの相関を探ります。
【前編】「起源」
寺田コレクションには、戦争を経験して生成された〝日本とは何か〟〝人間とは何か〟という 2 つの問題意識が投影されています。戦前/戦後における価値観の大きな転換に対峙した寺田は、美術作品を通じて自らのアイデンティティの拠りどころを探っていきました。本展【前編】ではコレクションの原点にさかのぼり、寺田コレクションを語るうえで欠かせない難波田龍起・史男の作品、そして「東洋的抽象」「ブラック & ホワイト」「日本的なるもの」といった収集テーマから、寺田の感性と美意識のルーツを辿ります。
寺田小太郎 (Kotaro Terada)
1927(昭和2)年5月7日、滋賀近江の商人を出自とし江戸に移って約500年続く寺田家の長男として生まれる。
東京農業大学緑地土木科(現造園科学科) および同大学農学部農業経済学科出身。1963年から東京農業大学の恩師・中島健(1914-2000)の誘いを受けて綜合庭園研究室に勤務し、造園の仕事に携わる。造園の仕事は寺田にとって「天職」となった。1980(昭和55)年に綜合庭園研究室から独立し、創造園事務所を設立。中島とともに東京オペラシティビルの植栽・管理を行った。
1988年、新国立劇場建設のため官民一体となった都市開発事業が開始され、寺田は所有していた土地を提供し、本プロジェクトに唯一の個人として参画する。行政が掲げた文化施設を設置するプランに賛同し、美術館創設(現在の東京オペラシティアートギャラリー)を提案し、私財を投じて美術館創設に向けて収集活動を開始した。
2018(平成30)年11月18日、逝去。
Series:コレクターズ/Collectors
「収集」の域を超えて芸術との関わりを生み、自らの志を波動として周囲へ影響を与えるような「コレクター」たちがいます。作家を支えつつ社会へ芸術の息吹を送る彼らは、将来アートシーンで活躍するであろう美術大学の学生にとっても重要な存在といえるでしょう。本シリーズでは、作品収集の背景にあるコレクターのまなざしや個人のライフストーリーを辿りながら、収集という行為そのものが社会をより充実させるための営みであると捉えることで、「社会におけるコレクターが果たす役割」を再考します。本展はその第2回目です。
[出品作家]
赤塚祐二、麻田浩、アド・ラインハート、有元容子、磯見輝夫、伊藤彬、榎倉康二、奥村美佳、柿崎兆、郭仁植、桑山忠明、小泉淳作、齋藤満栄、白髪一雄、チャールズ・ランフ、鄭相和、崔恩景、堂本右美、中路融人、中村徹、難波田龍起、難波田史男、野田裕示、野見山暁治、稗田一穂、ベン・ニコルソン、前田昌良、松谷武判、松本祐子、村上友晴、山口長男、尹熙倉、尹亨根、吉澤美香、李禹煥
関連イベント
刊行物
寺田小太郎 いのちの記録 -コレクションよ、永遠に
- 多摩美術大学美術館
- 2021/07/10
- 272ページ
- 縦高 240mm 横幅 187mm 厚み 18mm
- 一般 2,500円 (学生 2,000円)
本展作品含む図版約190点掲載。寺田小太郎による随筆『わが山河』(私家版)を再録掲載するほか、生前の寺田と親交を結んだ2人の画家 相笠昌義・奥山民枝 、造園家・中島健主宰の綜合庭園研究室OBへのインタビュー、多摩美術大学美術館館長・鶴岡真弓の書き下ろしテキストなどを収録。
記録映像
- 展覧会「寺田小太郎 いのちの記録 ーコレクションよ、永遠に【前編】起源」_Short ver.